ただいま焙煎中 now roasting

コーヒーが好きです。

カナダで私も考える。自分にとってのワーキングホリデーのこと。

現在、トロントにワーキングホリデービザで滞在してもうすぐ半年になります。

 

ワーキングホリデー、通称ワーホリ、日本での認識率ってどれくらいなんでしょう。

もちろん情報を沢山持っている人や外国語学習者の方はかなりの確率で知ってると思うし、実際に取得した人もあると思います。

 

でも、少なくとも自分の家族は名前くらいしか知らなかったし、友人の中でも認識率はバラバラでした。それが、他のビザとどう違って、どういう国に行けて、どんな制限があって、で大体皆何しに行くの?ということになると認識率はがくんと下がる。

ワーホリとは?っていうこと、特に制度などに関しては世の中の留学エージェントが血眼になって情報をアウトプットしているので、詳細まで自分が語るのは避けようと思うのだけれど、ざっくり言うと

 

・18歳から30歳まで取得可能(ただし渡航先の国によって違う場合あり)

・現在渡航先として行けるのは、オーストラリア、カナダ(ワーホリ2大渡航先と言っていいと思う)、ニュージーランド(オーストラリアではなくて「あえて」選ぶ人が多いと聞いた)、フランス、イギリス(この2つは定員も少なく、人気なので行けない可能性が高い。それから物価の関係上、基本貧乏なワーホリ民にはハードルが高い)、等

・ビザには観光ビザ、留学ビザ、ワーホリビザがある(カナダの場合)が、ワーホリビザが他と違うのは「合法的に働ける」ということ。他のビザでは就労が認められない。

・期限は1年間。人生で一回しか取得できない。

 

という感じ。

 (↓詳細が知りたい人はこちらのリンク参照。)

STEP1 ワーキングホリデーとは | 日本ワーキング・ホリデー協会

私がワーホリビザを取得した理由

「ワーホリに行ってみたかったから」その一言に尽きます。ただ、今となっては「ワーホリに行く」という表現自体に非常に違和感を感じています…。何故かと言うと、100人ワーホリビザを取得してカナダに渡航する人がいたとして、共通するのは「ワーキングホリデービザを取得して渡航している」ということだけであって、「そこで何をするか」は本当に本当に違ってくるから。100人いれば100通り、というやつ。

「ワーホリに行く」という表現は割りと皆使うと思います。よく「留学に行く」という表現と並べられることも多いかと。だけど、これは私個人の意見なんだけど、「留学」の目的はかなりはっきりしていて、それは「勉学」です。もちろんそれに付随していろんな課外活動とか異文化交流とかも含むけど、全体として「学び」に集約されるものだと思います。一方「ワーホリ」は「留学」を内包できる(実際、ほとんど働かないで語学学校に行ったりや他の勉強だけしてる人もいる)し、反対に語学学校へ行かずいきなり就労スタートする人もいます。

ここまでで、ワーホリというのはかなり自由度が高いものと理解していただけたでしょうか。実はわたしがそこにほんとうの意味で気づけたのは、かなり最近。最近まではどうだったかというと、「ワーホリに行った人の成功テンプレート」みたいなのに随分苦しめられてました。

 

「成功するワーホリ」幻想

あらゆるエージェントが「ワーホリは素晴らしい。迷っているなら是非行くべきだ。でも目的をはっきりさせていくように、でないとせっかくの機会が無駄になってしまう」と謳っています。

彼らも商売なので、良い側面を思いっきりアピールするけど、一方で実際にワーホリ経験者のいろんな話があるので忠告はしているわけです。責任押し付けられたらたまらんしね、結局は自己責任ですよ、というポジション取り。

ワーホリ体験の満足度をアップさせることも彼らの戦略の一つでしょう。多くは現地サポートを提供していたりしていて、それをすれば渡航先での拠り所になるし、それをきっかけにしてまたいろんなサービスを利用したりして売上にもつながる。評判が上がれば新規顧客も増えるしね。

そういうわけで、世の中には「成功するワーホリ」みたいなテンプレが存在しています。また、企業だけがそれをプッシュしているわけではなく、国(厚生労働省)でさえもプッシュしている、と私は感じています。グローバル化が遅れている日本、効率よくグローバル人材を育てるには教科書通りに海外志向の人間をディレクションする必要があるんでしょう。

と、ここまでずいぶん嫌味たっぷりに書いているのは、私がその「テンプレ通りのワーホリ生活」を実現できず、ある意味では挫折をしているからです。

さて、彼らの提唱するテンプレがどのようなものかと言うと、

・最初の3ヶ月(お金に余裕があればもう少し長く)は語学学校に通う。ここで、就労に必要な語学力を身につける。また、最初はホームステイをすることで現地の生活や生活に必要な英語を身につける。

・語学学校を終えたら就職活動をする。ネットでの情報収集に加え、従来的にレジュメ(履歴書)を配って歩け。冬は(サービス業の)求人が減るので、夏に仕事探しができるように時期を合わせておくように。

・就労先はなるべくローカルだといいね。同僚も顧客も英語だから環境としては理想的。レストランのサーバーならチップももらえるしね。カフェなんかもかっこいいよね。でもそれが難しいとキッチンヘルパーや日系のレストラン(ジャパレスと一般的に言われる)かな。とにかくがんばっていい経験を積んでください。

・滞在中はなるべくその国の行事やイベントに参加。ボランティアも経験しておくと良し。

・ビザの残りが少なくなったら旅行するのもいいですね。新しく出来たお友達と記念で旅行するのって素敵。

・このような経験があれば、日本に帰って就職活動した時に、面接官に「ワーホリ?遊びでしょ?」といった反応をされたとしてもしっかりと実績を自慢することができます。これこそが成功するワーホリです。

 

といったものです。

だけど私は最初にホームステイをせずにいきなりシェアハウスに住んだし(メシマズ事態を避けたかった)、最初の語学学校の時に勉強に専念なんかしてなくて、紹介してもらった期間限定の仕事をして体力的にパンクしそうになったり、そのあとの「就職活動期間」でモチベーションが上がらなくて、冬なのもあって厳しくてそれ以降就労しなかったし、イベントも若者中心の「ウェーイ」的なやつには全く参加しなかったし(カウントダウンイベントとかね)、期間の最後に行きたいな〜〜と思っていた南米旅行も治安がかなり悪そうでやめたし。

ただ、ずっと、帰国してからの面接官の冷たい視線がこちらに当てられる状況を恐れていたんです。ただの海外行ってみたかったこじらせた人、って思われるんだ、別にいいけど、ハードモードだな、それ、っていう恐れ。

で、年明けくらいに出会ったんです。「成功するワーホリ」を地で行っている人に。

彼女は大学を1年休学して来ているんだけど、しばらく語学学校に通った後、たくさん履歴書を撒いて諦めかけた頃にローカルの理想的なお店に雇ってもらい、最後は今後のキャリアに繋がるような業界でのインターンシップで締めるとのこと。その間ボランティアで一緒だったカナディアンの子にほの甘い恋心を抱いて、でも彼とは良いお友達でいたいな!みたいな素敵なエピソードも挟みつつ。

とにかく、彼女の笑顔を見ていたら、自分の中でも何かがふっきれました。エージェントの提唱するような成功パターンそのものの過ごし方をしてきたんだという彼女の存在に触れたら、もうなんだか一気に自分がこだわっていたことがどうでもよくなった。

彼女がそのテンプレ通りに1年間過ごそうと思ってここまで来ているのかどうか、私にはわかりません。でも事実として、彼女は一生懸命毎日を過ごして今ここにいる。

一方で自分は自分の過ごし方を自分自身でどこか否定して、「こうあるべき」みたいなのとのギャップで勝手に苦しんでいた、と今は考えてます。

 

なんだかうまくいえないんだけど、これはワーホリに限ったことではなくて、自分の人生の中で作り上げてしまった人生観なんだろうなと思いました。で、その人生観の違和感にここで気づけて、それを今壊して再構築出来ているような気がする。私のワーホリはそういうワーホリでした。

 

最近はとにかく考えている

そういうわけで、今は朝から学校に行っているわけでも、仕事をしているわけでもなく、予定といえば趣味の活動と自主的な勉強とパートタイムの学校くらいなので、とても時間があります。

同じような状況で日本にいれば手っ取り早く「つなぎの仕事をしよう」とか「友達に連絡を取ろう」とか「あそこにでかけよう」とか、とにかくとにかく手っ取り早い行動ができるんでしょうが、こちらでは収入がなくて支出するばかりなのでお金を使うにもよく考えて使うし、でかけるにしても慣れたとはいえ異国なのでいろんな下調べをしたり、とにかくよく考えるようになりました。

また、当然だけど、自分のことも考えたり、考えるにもインプットが必要と感じて本をKindleでたくさん読んだり、なかなか日本では作りづらい環境をこしらえることができているように思います。

 

ワーホリは目的ではなくて手段、一般的にはね。

「◯◯は目的ではなくて手段だ。でもそれが目的になってしまっている」事象ってよくありますよね。私も結局のところ最初の段階でワーホリが目的になっていました。でも、今それをはっきりと認識しているからこそ、それでよかったと思っています。だって、やってみてどうなるかは誰にも分からないのだから。

もちろんこれを通してどうしたいか、というはっきりとした目的がある方は結構。ただ、それがなくて目的じゃなくて手段になっちゃってるのも、わたしは大いに結構かと。自分を正当化してるかもしれないですけど。でも海外生活自体はかけがえのない財産になるはずだからね、全ては個人次第だけど。

 

 ↓最近読んでます。書くために外国に滞在した、かの村上春樹と自分の状況を重ねたり重ねなかったりww

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)